*鉢屋とプロ忍















事の発端は不愉快な男の不愉快な発言だった。
「鉢屋、三郎・・・ねぇ」
品定めでもするように上から下まで舐めるように見回した後にもらしたその口振りに、嫌悪感が生まれた。
恐らくこの男は知っているのだろう。
『鉢屋』がどういう生き物なのかを。










親友である不破雷蔵をボコボコにした挙句、敵討ちのつもりが返り討ちに遭うという大失態を犯した相手が、去り際にそんな風に私を呼び止めた。
「何ですか・・・?」
敵意を露に不破雷蔵の皮を被った顔が歪む。対する不可解な包帯男は一つ目を細めた。
「君のお父上には大変世話になったことがあってね」
何気なく出された父親という単語がさらに私の神経を逆撫でる。私は父が嫌いだ。増してや『家』のことに他人が触れてくるのはもっと不愉快であった。
「そうですか。それはどうも」
もうこれ以上は無駄だとでも言いたげに、冷淡に突き放してやると空かさず男は言葉を返した。
「よくもまぁ、そんなんでお友達の顔していられるよねぇ」
一瞬だけ思考が停止したかと思うと一気に熱が脳天まで昇ってきて、奴を思いっきり睨みつけた。これ以上に無いくらいの敵意と嫌悪。圧倒的な力の差を見せ付けられたばかりだったため、相手に掴みかからなかった冷静さを持っていたことを褒めてやって欲しいくらいだ。
「君、なんで忍術学園なんかにいるの?」





信じられない!
私が、この鉢屋三郎が、あのような男の言葉に動揺しているなんて!
『鉢屋』は非道い忍びだった。忍びに嫌われる忍びだった。目的のためならどんなことでもした。
生き延びたものが勝利者である、とは私の父がよく言っていた言葉だが、それはそうだと私自身も思うところがある。結局、大儀だなんだと持ち合わせたところで、そんなもの何の意味も無い。最後に笑うのは足掻いて抗って生き残ったものだけだ。
しかし、私の父はそんな勝利者の顔をして傲慢にもその上に居座っている。その様は忌むべきものだ。憎らしい。
私の父は母を殺し、姉から笑顔を奪い、兄はどこかへ追いやった。残ったのは父と私とたくさんの子供達。
私の父は何もかもを自分一人の力で成し得たと思い込んでいるのだ。愚かしい。
私が『鉢屋』を名乗る限り、その父の呪縛から逃れられないのだ!
すっかり忘れていた。あの男に出会うまで。あの男の言葉を聴くまで。塀の内側のなんと安穏たる日々。





いつもの食堂。いつものおばちゃんの料理。一つだけ違うのはそこにいるのが学園外の者と言うことだけ。
「利吉さん」
気に入りのしんべヱの顔をしてその人に近付けば、少しだけ驚いた顔を見せたがすぐにそれと言い当てられる。
「鉢屋、三郎くんだね?何のようだい?」
誰にでも見せる笑顔で利吉さんは食後の番茶をズズと啜った。その素振りが山田先生そっくりだと思った。
「プロの忍びである利吉さんにお聞きしたいことがあるのですが、貴方は『鉢屋』をどう思われますか?」
唐突な問いに利吉さんは釣りあがった目を大きく見開かせて固まった。
「しんべヱの変装は、君の体格では無理があるだろうなぁ」
「そっちじゃないです」
「・・・冗談だよ」
それから利吉さんはまたズズと一口茶を啜る。
「実は直接『鉢屋』と関わったことは無いのだが、我々の業界で実しやかに語られている彼らは、最低だよ」
驚きもしない。この人は真実を語ってくれている。子供だと妙な気遣いをされてしまうのではと思っていたが、やはりこの人は優しい人だ。私は表情に一点の曇りも見せず静かに聴いた。
「しかし、私の知っている『鉢屋』は成績優秀で一生懸命で、後輩の面倒見が良くて何よりも親友を大切にしている素直で良い子だ」
「模範解答ですね」
皮肉を込めて言ってやると「ありがとう」とやはり大人の余裕を見せてきた。嬉しくもなんとも無い言葉の応酬に、複雑な気分だ。とにかく早くこの場から逃げ出したくなったので、ありがとうございました、と頭を下げて、早々に退散しようとすると、呼び止められる。
「君の価値は君自身でつけるんだよ。他人の評価など気にするのものではない」





過ぎたことを。
やはりあの人は近すぎる。父親が教師だからかもしれない。
私の求めている答えは出なかった。
元より私は他者の評価など、てんで興味が無い。所詮は何も知りえぬ他人様。彼らがなんと言おうと私が私である自覚など、とうにしている。
だったら私はいったい何を聞きたかったのだろうか。
それさえも今は分からなくなってしまった。





「それを訊くためにわざわざここへ?」
火縄銃を構えてずっと遠くの的に狙いを定めている男は、目線は真っ直ぐで赤い唇だけそのように動かした。
「はぁ・・・まぁ、お忙しいところすみません」
「いや、構わない」
建前だけの言葉に淡々とした口調で答える照星さん。それから火縄の引き金が引かれて赤い閃光と轟音のあとに、遠くの的の真ん中に穴が開いた。相変わらずの腕前だと思う。煙立つ火縄の香りがこの人には似つかわしい。
「擬態だ」
倒置法の様に掲げられた言葉が不気味な音のように聞こえた気がした。
「近しいものに姿を変え、本物が死んで偽者が生きる。それが『鉢屋』だ」
耳障りな音だ。心がざわつく。血が騒ぐ。確かな言葉に抗う力も起こらない。
「君の本能が、その姿をさせているのであれば」
こちらを見ようとしない照星さんは、一から火縄の弾込を始めた。こちらの気持ちなど知ってか知らずか、再び遠くの的を睨みつける。そしてまた、赤い唇だけが不規則に動いた。
「強くなることだな。仲間を守るために。自身の闇に打ち勝つために」





強さとは何だ。闇に打ち勝つとは。
私は強い。完璧だ。誰にも私の前を歩くことを許さなかった。塀の内側では。
外の世界は恐ろしい。いつ命を落とすとも知れない危険で溢れている。
けれど私の姿は私ではない。雷蔵だ。危険であるのは雷蔵であるかも知れない。
だが私は彼の姿をやめる事は無かった。雷蔵がそれでいいと言ってくれたからだ。
雷蔵は強かった。心も身体も。私には到底マネできる所業ではないのだ。
私はいつも守られている。塀の内側であることに。
私はいつも守られている。雷蔵に。
そんな雷蔵を私は守れるのだろうか。強さとは何だ。
私は強くなりたかった。





突きつけられた苦無の切っ先が冷たかった。
「それで、答えは出たのか?『鉢屋』」
凄腕と豪語されるその技術は確かだと身をもって思い知らされる。この男は私を殺したいらしかった。
父の呪縛はこのような形で時々降りかかってくる。
「さぁ、自分でもよく分からない」
押し倒されて身動きの取れない己の姿が滑稽だと思う。『六年生をも凌ぐ』など聞いて呆れる。そんな私を見て凄腕忍者はせせら笑った。
「哀れだな・・・何も分からないまま死に逝くのも」
「だったら見逃せ」
「それは出来ぬ相談だ」
当たり前である。この男は私を殺したいわけではない。『鉢屋』を殺したいのだ。理由はどうであれ、事実は行動により明確だ。私はこの男に殺されるらしかった。
「ならば教えて欲しい。私が『鉢屋』だと何故思う?」
雷蔵の姿をしているのに。ましてやこの男と直接対峙するのはこれが初めてだというのに。
凄腕忍者は大業な溜息を吐いて、突きつけた苦無を引っ込める。その理解しがたい行動に怪訝な表情を見せた。
「『鉢屋』の本当の姿を知るものはいない。その親兄弟さえも。それでもわかっちまうもんさ」
そして口布をずらし、さも当然であるかのように私のことを見下す。
「それが仕事だからな」
凛と告げられた言葉の意味を理解するのに少し時間がかかってしまった。なんと単純明快な答えだろう。
ぼんやりと呆けた顔で相手を凝視すると、立ち上がった男は再び私を嘲笑する。
「お前みたいな糞餓鬼、殺す価値もねぇなぁ」





どうやら私は殺す価値も無いらしいことに安堵した。
私は『鉢屋』の子だから他人の姿をしているし、『鉢屋』の子だから命を狙われている。
けれどまだまだ未熟で自分の身さえ守れずに守られてばかりで、相手になどしてもらえない。
だから、今よりももっとずっと。





「雷蔵。私は強くなるよ」
唐突に告げられた私の決意に、雷蔵は目を丸くした。なんの脈絡があってそんなことを言われたのか理解できないらしい。しかし、すぐにいつもの彼特有の柔和な表情になり「そっか」と息を漏らした。
「最近何か悩んでいるらしかったからさ。解決したんだね」
それから「よかった、よかった」と雷蔵は笑った。いつだって私は雷蔵に敵わない。
私は思うのである。これも全部ひっくるめて、守らなくてはと。
私に唯一許されたことであるならば。
それが私の。














アイデンティティの間で

今思うこと


あとがき。という名のスーパー言い分けタイム。
そもそも被差別部落民の鉢屋について色々考察してたら思いついた話でして。当時から差別されていたんだろうなと思った結果が三郎と実家の確執と絡めたら面白いだろうなみたいなそんなノリ。
利吉さんと凄腕の行を書きたいがために強引にプロ忍出したためやたら訳が分からなくなった。
そしてやっぱ三郎書く上で雷蔵は外せない存在です。あ、プラトニックな意味ですよ。三郎にとって雷蔵は神様のような存在なんですよ。きっと。
それと私の中のテーゼとして『たまごは所詮たまご。プロじゃない』ってのがあるのでそれを意識したらこうなった。
本当にサーセン・・・orz難しいっすね。忍玉って。

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