*伊作→食満+雑渡



















 陰鬱とした空が学園を包んでいた。
 否、陰鬱としていたのは自分自身の気持ちの問題であり、目の前には誰が見ても澄み渡った冬の空が広がっている。気温は低く乾燥しているが、陽光が眩くて温かいとても過ごし易い陽気だ。
 であるのに、自身のこの鬱屈とした感情はなんなのであろう。と自問自答してみるととっくに答えなんて出ていた。しかしそれと向き合う勇気は残念ながら、今の自分は持ち合わせていないので、常にこの不安と隣り合わせでいる日々の生活に疲れてしまったのかもしれない。
 おそらく、もう限界だったのだ。己の弱さを見ない振りするのも。なにもかも。





 私の日常は毎日が同じことの繰り返しである。
 朝目覚めたら顔を洗って食堂で朝餉をとり、卒業を控えた課題に追われ実技に実戦に実地訓練にレポートを書いては提出し赤点を取って、委員会の仕事で同級の下らない怪我の治療をして後輩の面倒を見て先生の仕事を手伝っては適当な不運に見舞われて、食堂で夕餉を取って湯浴みをした後は床に就くのである。
 些細な変化はあるが、大体は同じことが毎日毎日繰り返される。別に嫌な訳ではない。誰もが同じことを繰り返しているのだ。ただ心までは毎日同じわけではなかった。
 この途方も無い不安と息苦しさが日を追うごとに私の上へ、踏みつけるように圧し掛かってくるのである。
 真夜中。静寂の夜に私は独り、そうした孤独を噛み締めていることが良くあった。悶々とした感情の捌け口を求めて一睡も出来ずに朝を迎えてしまうことなど、今ではもう慣れてしまった。
「何をそんなに苛ついてんだよ」
 何度目かの夜だった。当に眠ってしまったと思っていた同室の者が、衝立の向こうから突然問いかけてきたのだ。対する私は委員会で必要な薬を作るために、日中、新野先生の菜園から採って来た薬草を薬研で摩り下ろしているところだった。
「私が苛ついているって?」
「今日だけじゃない。毎晩な」
 衣擦れの後にかりかりと爪で肌を掻く音が聞こえた。彼が時々目覚めては、衝立の向こうでいつも何か言いたそうにしているのを、私はその度に気がついていた。そのことに彼が気付いていたかは知らないが、ついにこの日が来たのかと素直に思った。
「それも、あの忍びに出会ってからだ」
 彼の口から出た『あの忍び』とは、タソガレドキ城の忍び組頭のことであることは、言わなくても分かる。自分でもあの人に出会ってからこんなに鬱屈としていることくらい理解していた。あの人との出会いについては省略するとして、借りは当に返しているはずなのに何かと私の周辺をうろつく目障りな男ではあった。そのはずであったのだ。
 私は黙っていた。黙秘をしているわけではない。彼の言葉を待っていたのだ。不思議な静寂の中で薬草を磨り潰す音だけが響く。しかし彼はこの間をどうのように捉えたのであろうか。再び衣擦れの音が聞こえた。
「まぁ、言いたくねぇことだったら無理に言わなくても良いんだが」
 待ち望んでいた彼の言葉は予想通り過ぎて全く以って期待を裏切られてしまった。思わずくくと笑いが腹の底から込み上げてきそうになる。この臆病者と。
「留三郎の方こそ、無理しない方が良いよ。言いたい事があればはっきりと言えば良いじゃない」
 彼にとっては予想外であろう私の反応に、動揺して息を呑む音が聞こえた。私は少し焦燥した口調のまま、薬研を動かす手は止めずに言葉を続ける。
「興味の無いフリなんかしちゃってさ。そうやってお前は見たくないものにいつも背を向けるんだ」
 紡ぎだした言葉は勢いづいて興奮とともに薬草を磨る速度が次第に上がってくる。
「自分を傷つけたくないから。他人を気遣うフリをして本当は自分が一番可愛いんだよ、お前は」
「伊さ・・・」
 がしゃん!と勢いづいた薬研が倒れる音で無残にも彼の声は遮られた。粉になりかけているそれらが散らばっているところへ両手を突いて俯くと、再び笑いが込み上げてきた。それは同時に感情が真っ黒に塗りつぶされていくような感覚だった。
「知りたいんだろう?教えてあげようか?真実を」
 意地の悪い声で彼に問いかけると、不穏な空気を感じて彼は再び息を呑む。
「伊作・・・お前・・・」
「私は雑渡さんに抱かれたよ」
 空気が張り詰めていた。きぃんと耳の奥で耳鳴りが聞こえそうなほどに。衝立の向こうで彼がどんな顔をしているかだなんて私は知る由も無い。けれど彼にちゃんと私の声が届いているのはわかっていた。
「逆に抱いたこともあったかなぁ。何度も何度も。その度に先生や生徒のこととか学園の火薬や武器について、私の知りうる限りの情報を流したよ」
 お前は知りたくなかっただろう。こんな私を。今の私はお前の知っている不運でお人よしで誰彼にも優しい善法寺伊作ではないんだよ。お前が今まで目をそむけ続けてきた、その男ただ一人だ。
「何故かと問われれば私はあの人を好いてしまったからね。愛しい人のために役立ちたいと思うのは当然だろう」
 私は引きつった笑いを繰り返しながら、それから壮絶な悲しさと切なさが心を支配した。ああ、これで私と彼の不思議な関係も終わるのだな、と。六年もの間寝食を共にした親友であるのに、互いの身の上や外のことなど何一つ知りやしない、学園生活という限定された世界だけの一時の友。間違いなく私の友だ。
「なんで、・・・んなこと、俺に言うんだよ・・・」
 嗚咽のような搾り出した彼の声が頭上から響く。悲しさの間で私はやはり笑っていた。私の得意分野だ。
「君が知りたがっていたからさ」
 彼を非難するように、そして同時に自分自身を追い詰めるように。もう私の心は決まっていた。彼が衝立の向こうから声をかけたあの瞬間から全てを覚悟していた。
「俺は知っていた」
 衝立を介して聞こえてくる声は思いのほか静かであまりにも淡々としていたので、私は思わず耳を傾ける。
「何も知らないことを知っていた。お前がそれを望んでいたからだ、伊作」
 彼が今、どんな顔をしてどのような思いで言葉を発しているのか分からない。彼の放つ声は、今まで私が耳にしたことのないような静謐を纏っている。いつの間にか私の笑みは消えており、心なしか肌寒さを感じていた。
「知ろうとしない、無知で臆病な俺をお前が望んでいたんだ」
 そんなものは欺瞞だ、とはとても言い返せない。全ては彼の言うとおり。愚かだったのは私も同じだ。自身で作り上げたこの関係を毀したのは紛れも無く私のほう。
「それなのにお前は・・・」
「どちらにしろもう遅いよ・・・・・・私はもう、ここには居られない」
 彼の言葉を遮って私は自らの引導を渡す。肌寒さは相変わらすで、声が震えていたのも寒さの所為に違いない。すると彼は立ち上がり、二人の距離を塞いでいた衝立を越え私の傍らに寄り添い、そうして壊れ物でも扱うように抱きしめられた。
 私は彼に知られたくなかった。彼だって知りたかったはずなのに、知ろうとしなかった。でも本当は、彼に知っていて欲しかったのだ。彼が知らない私と言う人間を。そして私も知りたかった。私の知らない彼という人を。
 だって私と留三郎は友だから。
「さようなら、留三郎」






 空が暗かった。月も無い夜だからではない。私自身が暗いのだ。
「しかし君達も難儀だよねぇ」
 鬱蒼と茂る木立の間から一つ目の顔が溜息と共に呟いた。私は視線だけをそちらへと向けた。
「学園を辞めてまで彼との距離を測るその理由はいったいなんだい?」
 私達の会話をずっと盗み聞きしていたであろうその男は私の吐いた不可解な嘘に対して、当然持つであろう疑問を投げかけた。私はくすりと目深に被った笠の下で笑う。
「私にとって初めての友だったんです。それを失いたくなかっただけですよ」
 彼を思って毎晩こっそりと抜いているだけなら自分ひとりの問題だった。しかし一つ目の包帯男が現れてから、彼自身の何かが変わり始めていた。これは私と彼の間の微妙な距離感に大きな変革をもたらすものだった。
「過剰な愛や、かといって謂れの無い憎しみなど友の間にあってはならないでしょう」
 確信に満ちた笑みを浮かべてそのように教えてやると、やはり一つ目の男は解せぬといった雰囲気を醸し出す。
「やっぱり難儀だよ。君達は。それとも最近の若い子って皆そうなの?」
「さぁ。所詮私達の生きていた世界は高い塀の中の小さな世界でしたのでなんとも」
 大して興味も無く答えると、「ふぅ〜ん」とつまらなそうな声がする。と思ったら、それから思い出したように暗闇の声は楽しそうに笑った。
「そうそう。抱かれたとか抱いたとか、好きだなんだ愛してるなんて言われて、おじさんもうびっくり」
「そこまで言ってませんよ」
 大袈裟でふざけた口振りには適当にあしらって、私は行き先不明の暗い道を歩いていた。














知らない話

あとがき。
6はの友情ものを書こうとしたら伊→食満になってた罠。ノープラン。
なんていうか衝立について色々考えてたらこうなった。なんともいえない遮りっぷりというか距離があるというか。
あまり伊作と食満は互いの身の上話とかしてなさそうだなとか。知ってて欲しいんだけどやっぱりかっこ悪いから知らないで欲しいとか。そういう話。
自分でも分からなさ過ぎてコーちゃんオチ(骨になる)も考えてたんだけど、なんやかんやでこうなった。
お粗末!

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